かるいさわ物語

北陸新幹線、高崎を過ぎるといくつものトンネルを通過しながら標高が上がっていく。軽井沢駅に近づき「次は軽井沢駅に停車します」のアナウンスが聞こえる。このアナウンスにどことない違和感を感じる。アウトレットに直結した近代的な駅舎。東京24区の軽井沢に来た気がするのは私だけかしら。

ここ東信地方を地元とする私にとって、ここは皆さんが知っているセレブな避暑地軽井沢とは少しイメージが違うかも知れません。中山道軽井沢宿であり古くから外国人が暮らす歴史ある街。度重なる浅間山の噴火と戦後満州からの引き揚げ者による農地開拓など、その長い歴史を知る私たちの呼び名は「かるいさわ」(語尾を少し上げる感じで)

親戚が集まっても地元の人は「かるいさわ」と言う人が多い。この発音の違いって何かしらと調べてみたら ああやっぱり… 元々は「かるいさわ」だったらしい。

ショーハウス記念館にて

今から135年前、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢を別荘地とし、その後外国人が次々と訪れるようになっていった。外国人にとって「カルイサワ」はやや発音しにくく彼らの中で自然と「カルイザワ」と呼ばれるようになった様です。これをそのまま受け入れて日本人も「かるいざわ」と呼び名を変えてしまったのですから、なんとも日本的ないきさつですね。

昨年度の軽井沢町への転入者は約600人。長野県内ダントツの移住者数。テレワークの普及などにより転入者超過傾向が続いています。私も7年前にここを終の棲家に決めた一人。135年前とは違う新たな移住者たち。私の知っている「かるいさわ」は遠い昔の事。

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