ジャクレー邸の食卓

私の母は20歳の頃から数年間、軽井沢の聖パウロ教会裏にあった聖アントニオ幼稚園で保育士をしていました。1950年台前半、終戦からようやく復興し始めた頃の時代のことです。

聖パウロ教会中庭 右上ライモンド神父 右下母政子

聖アントニオ幼稚園には地元の子供の他に外国人の園児も約半数いてキリスト教の礼拝や様々な行事には別荘の住人や外国人も加わり楽しい思い出が沢山あったようです。

行事の度に訪れる人々の中に、当時軽井沢に疎開していたフランス人浮世絵師のポールジャクレーがいた。

ジャクレー邸に住む子供たちの世話をしていた母は度々ジャクレー氏から声を掛けられ、万平ホテル近くにあるジャクレー邸を度々おじゃましたらしい。ジャクレー邸の家主は羅さんと奇礼さんご夫妻。当時独身のジャクレーさん、母がコックと呼ぶ東洋人と後に養子となるテレジアとピエール、アンドレアの3人の子供達。他にも書生さんも居たとか。。。なんとも不思議な共同生活を送るジャクレーさんの暮らしは「質素だったがとてもモダンで素敵な暮らしだったわ」と母は懐かしそうに当時を振り返る。そこは同じく軽井沢に疎開していた文化人や外国人もたびたび訪れ、さながら社交場の様でもあったが、好き嫌いがはっきりしていたジャクレー邸の門をくぐれる者は彼が好んだ一部の人達だけだったと語る。

ジャクレー邸

夕暮れ時 美食で知られるジャクレーさんの夕食は肉類や乳製品を使ったフランス料理でとても素晴らしい食事だったようだ。母にとっては忘れ難いひとときであったのだろう。数年前から認知症を患う母の口からとめどなく言葉が溢れる。ポールジャクレー邸の話はここまで。

ポールジャクレー展が昨年に続き今年も追分郷土資料館にて開催されています。

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