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恐竜の鳴き声

ケーン、ケーンと甲高い声。金属のパイプを通した様な異様な声が芽吹いたばかりの春の林に響く。この季節特有の声、たしか映画「ジェラシックパーク」で聴いたような... 

ほどなくそれが雉の鳴き声だと知る。「雉も鳴かずば撃たれまい」と言うが、鳴く方角を見ると必ずと言って良い程すぐそこにいる。茂みに隠れるでもなくその鮮やかで大きな体を見せつける姿はどことなく恐竜を思わせる。

雉は鶏などと同じように飛ぶのは苦手な鳥だ。体の大きさも鶏と同じくらいで動作もハッキリ言って鈍い。この季節丸々と太った体は熊やキツネなどの格好の餌になりそうだがなぜかそうでもなさそうだ。道で車に轢かれた雉の死体を見た事もない。

案外賢い、のかな? この季節、仲良くつがいで連れ立って歩く姿はなかなか微笑ましい。

大人かわいいのが出来ました

人形はこれまでもいくつか作って来ましたが、最近良い物が出来ましたのでご紹介します。

動物の編みぐるみ

編みぐるみってどこか手作り感の強いものになりがちですが、デザインを出来るだけシンプルに、また凹凸の少ないすじ編みにし、硬めの撚糸を使うことで機械で作ったようなすっきりした作品に仕上がりました。見た目は犬の様で犬でない?うさぎの様でうさぎで・・・ちょっとおデブさんがいたりノッポさんがいたりと色々なのが編みぐるみの良い所です。

お子様にはもちろんですが大人の鑑賞用にも、と言うのが私のこだわりです。棚の片隅にでも置いていただけたら幸せです。

東北へ

先日、仕入れと古民家を訪ねて東北へ

心に残った事を少しお伝えします。

岩手の旅は一ノ関から始まった。一ノ関駅から車で15分、達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂。1200年の昔、この窟にこもる蝦夷を成敗したと言い伝えの残るお堂。

一枚20円の安さに惹かれてつい引いてしまったおみくじが「末吉」。書かれている内容はほとんど「凶」。すると隣に「毘沙門天の最強のお札」と書かれているではないか(笑)。千円也のお札をいただき旅はスタート。

奥州藤原氏ゆかりの中尊寺。世界遺産と名がつくと期待値が大きい分がっかりすることがしばしばあるものだが、ここは期待を裏切らない。月見坂を登りながら点在するお堂とその間に時折見られる僧院。石畳の傍らには見事な竹林と山野草が春を告げていた。

奥州市に入った所で店を構える古道具店、昭和kichiで買ったレトロな宝石箱と翌日行った角館のイオヤの雑貨。

秋田に入る。商人の町、横手市増田 内蔵の中でも最も古い佐藤家を見学する。今も人が住む350年前に建てられた蔵造りの家。漆喰の壁、渋柿を塗った梁や天井、望んでも手に入れることの出来ない最高の邸宅がそこにあった。

宿である鉛温泉に向かうため北上川を北上。車を停めて河川敷に立つ。初めて見る護岸工事がされていない一級河川。 北上川 意外なところに「今日一」があった。

針の魅力もさる事ながら

キッコーマン、麒麟ビール、資生堂  

聞けばふと目に浮かぶその美しい商標  

軽井沢近隣の町上田市にも今年創業101年の老舗メーカーがあります。ミシンをお使いになる方ならばご存知のはず。ミシン針業界では有名なオルガン針。

オルガンを弾く婦人のブリキの看板。 由美かほるさんのアース渦巻、大村崑さんのオロナミンCの看板と共に田舎の辻などで良く見かけましたね。私はこの絵柄がなぜかとても好きで見るたびに「美しいな」と思っていました。

オルガンとミシン針との関係は会社のホームページによると、針がミシンのリズムに乗って運針される様子がオルガンのリズムと重なるイメージなのだそうです。確かに私の日々のミシン仕事にも安定した針音を響かせてくれています。年代物の私のミシンの引き出しにはもちろんこの針袋。良い商標は一級の商品であることの裏付けなのでしょうね。

オルガン針装着のミシンで作った和柄のペンケース

今日からお店です

まだ冬の寒さの残る軽井沢追分ですが2ヶ月間の冬季休業を終え、今日から本年度の営業再開いたします。

休業中に仕入れたレトロなガラス食器

握りばさみも品揃えを増やし、手作りの針山、和布の小物の数々など取り揃えて皆様のご来店をお待ちしております。

カオスの箱から

私は整理の付かない混沌とした箱を2つ持っている。一つはボタンの箱、もう一つはビーズの箱。どちらも長年買い集めた材料が入っている。

時に古着のボタンや金具の取れた古いアクセサリーも私の眼に適う物はとりあえず箱に入れる。骨董市で仕入れた台湾の宝石もそこに加わり、静かに再生の時を待つ。箱の中はさしずめ玉石混交、カオスの世界。

アクセサリーを作るときはこのカオスの箱からパーツを拾い出し、それほど悩むことなく制作していく。悩まなくて良い理由は簡単。気に入った物だけ収集しているのでどう組み合わせてもなんとなく形になるというわけだ。カオスと言っても、そこは私だけの秩序があるのかも知れない。

ちょっと不思議感漂う私のアクセサリーは今日もこの箱から生まれる。

おぎのやと言えば

しばらくの間里帰りしていた娘と赤ん坊を車で送り届ける。上信越自動車道横川のサービスエリアでおぎのやの釜めしを買う。

旧特急あさまが走った信越線沿線、とりわけ軽井沢~長野間の住人にとっては駅弁と言えば横川の「峠の釜めし」だった。他の選択は無いというくらいその関係は深い。

子供の頃、父のお土産も釜めし。ご飯の味もさることながら嬉しかったのは陶器のお釜。ままごと遊びには欠かせなかった。

落葉焚きや薪風呂など、あの頃火はとても身近にあった。雑草や畑の野菜を少し拝借してお雑煮やカレーの真似事。どこの家の庭にも必ずあったな。

今新たなキャンプブームが起きている。テント用の薪ストーブやオシャレな調理器具が並ぶアウトドアクッキング。炎を楽しみながらグツグツと料理が煮えるのを待つ時間はあの頃のままごとと重なる。もうあのお釜の出番はなさそうだな。

和ばさみのはなし その四

このにぎりばさみ、歴史もさる事ながらその構造についても意外と奥が深いんですよ。

当店で扱うはさみは日本古来の日本刀と同じ付け鋼の構造です。鋼と軟鉄の複合材の鍛造による硬さと適度な粘りを併せ持ち耐久性に優れながらも非常によく切れる刃部を備えるという特徴を持っています。またこの構造ははさみを握った時の程良い握り加減にも繋がっています。

この柔らかい腰とバネの加減が実に絶妙。ホームセンターで売られていたり学校の教材用に使われる全鋼のにぎりばさみはバネが固くお世辞にも使い心地が良いとは言えません。

裁縫箱の中でもひときわ異彩を放つその妖艶な美しさは長い歴史と機能をとことん追求したシンプルな形に表れていますね。

まさに日本刀。是非この本物のはさみをお試しください。

和ばさみのはなし その三

今回は裁ち鋏についてのお話です。

U字型のにぎりばさみに対してローマをルーツとするX型はさみは正倉院の御物の中に見られる所から8世紀には日本に入っていたと思われます。X字型のはさみはてこの原理を利用し力のかかる仕事、主に生け花や植木ばさみ、下駄屋ばさみなどの分野でその力を発揮する事となります。

喜多川歌麿

江戸時代になり欧米からラシャ(注)が大量に輸入されました。吉田弥十郎という刀鍛冶が現在の裁ちばさみを作り上げたと言われています。繊細なにぎりばさみ、力の入れやすい裁ちばさみ、それぞれの用途に応じて進化していったわけですから日本人の道具に対するこだわりや追及心は実にすごいですね。

(注)ラシャ(羅紗)とは、紡毛を密に織り表面をフェルト状にした厚手の毛織物。陣羽織、火事羽織、のちに軍服やコートなどに使われた。

和ばさみのはなし その二

今回は和服とにぎりばさみの関係についてお話ししましょう。

仕事柄たびたび和服の古着を購入しますが、古い和服のその丁寧な仕事には本当に驚かされます。

           喜多川歌麿 婦人手業繰鏡 針仕事

擦れて薄くなった着物の裏側に当て布がしてあり、目も眩むほどの細かい針目でとじてあったり、仮縫いの後本縫い、そしてその上に仕上げ縫い、と三重もの縫い目で整った美しい襟元。ほどいていく程に出会うその複雑な工程に驚くこともしばしば。壊して布の状態に戻すことがなんと大変なことか。

ただその仕事も手の中にすっぽりと収まるこのにぎりばさみがあれば手早く切りほどく事ができるのですから洗い張り(注)を主体とする日本の和服文化にはなくてはならない道具なのだと実感できます。

その後、8世紀に入りX型のはさみも日本に入ってきたのですが諸外国の様にすべてX型のはさみに占有される事なくにぎりばさみとしてその存在を残すことができたのは、ほどいて再び縫い合わせる、を繰り返す日本の和服文化と切り離せない関係だったからでしょうね。

(注) 洗い張りとは: 着物をほどいて反物の状態に戻し水洗いをして着物をきれいにする手法。かつては各家庭で年に何度か洗い張りをして作り直したりというリメイク、リサイクルが行われていたそうです。