軽井沢は例年以上に厳しい寒さの長い冬もようやく終わりに近づき、最近は春めいた陽気を実感する日々となりました。冬のお休みをいただいていたなつめクラフトは今週末3月19日(土)より本年の営業を開始いたします。
商品は春物に一新いたしました。皆様のご来店をお待ちしております。

軽井沢は例年以上に厳しい寒さの長い冬もようやく終わりに近づき、最近は春めいた陽気を実感する日々となりました。冬のお休みをいただいていたなつめクラフトは今週末3月19日(土)より本年の営業を開始いたします。
商品は春物に一新いたしました。皆様のご来店をお待ちしております。
この画家との出会いは10年ほど前。神保町の美術専門古書店の二階でのことです。狭い階段を上り切った先の部屋。古書の隙間を埋めつくす様に並ぶ瞳を失くした顔、そして不思議な文字。絵の中の人物と私の鼓動がシンクロしたような妙な錯覚に陥る。「誰なのこの画家は」
ベン・シャーン 1898年生まれのユダヤ系リトアニア人。父と共に祖国を逃亡、8才の時にニューヨークへ移住。ブルックリンで石版職人として生計を立てていたシャーンの描く絵は徹底して戦争や貧困、差別や失業などをテーマとした社会派リアリズムの画家である。社会に対する強いメッセージが込められた彼の作品はその生い立ちが影響していると言われる。
古書店での偶然の出会いの後、憑りつかれたようにインターネットの画廊サイトでベン・シャーンを探す日々。4年前、ほど良い作品が見つかったので2枚購入し、お店にも一枚掛けた。折しも世界を巻き込んだ争いが起きている。この絵に記されたどこかの国の文字。言葉の意味を知りたくなる。
昭和47年(1972年)2月19日。軽井沢レイクニュータウン内、群馬との県境付近の静かな別荘地に群がる大勢の人だかり。警視庁機動隊、長野県警、消防そして大勢の報道陣。テレビは連日生中継で事の次第をお茶の間に送る。平均視聴率は驚きの89.7%。10日間に及ぶ攻防の末、死者3名 重軽傷者27名を出して終結した。これが昭和史に名高い「あさま山荘事件」。
この時、私は8歳。おぼろげに記憶しているのは朝から晩までつけっぱなしのテレビといつもより頻繁に訪れる叔母達の話し声。あさま山荘事件とは連合赤軍メンバー5人が浅間山荘管理人妻を人質に立て籠もった事件。
あさま山荘に行ってみた。軽井沢レイクガーデンに車を停め別荘地を登ること2キロ程。斜面に貼り付く様に建つ赤い屋根(当時の屋根の色は青)のコンクリートの建物。事件から50年が経過しかなりの廃墟を想像していたが、意外にも整った外観が逆にあの時の映像を思い起こさせる。出入口は一か所のみの要塞の様な外観。窓から武装したメンバーが外部に向けて銃口を向ける緊迫した状況。当時の機動隊が攻略に相当に苦労した事がうかがえる。
万国博覧会と共に始まった70年代。第二次ベビーブームにより日本の人口は一億一千万を超える。「戦争を知らない子供達」の歌が流れる街には人があふれていた。あれほど盛んであった学生運動も衰退し新たな時代に向かおうとしていた社会の中で、この砦に立て籠もった若者たちが戦う相手とは。
「あさま山荘」今も訪ねてくる人が絶えないと聞きます。現在の山荘周辺は木々が成長し森と化しているため夏場は全貌を望むことは難しいです。
「湖底には武田信玄の遺体が眠る」地元ではそんな言い伝えも残る諏訪湖。御柱祭の年には御神渡りがみられると言うが、ここを訪ねた1月末湖面には一筋の兆候が現れていた。湖の北岸と南岸に鎮座する諏訪大社。下社春宮と秋宮、上社本宮と前宮 二社四宮を合わせて諏訪大社と言う。
古事記に記された出雲の国の物語。大国主の息子タケミナカタは国譲りを受け入れなかった。ヤマトの使者タケミカヅチとの力比べに敗れこの諏訪の地まで逃れて来た。太古の昔、遠い出雲と諏訪の地は繋がっていたんだ。見上げれば諏訪湖の北にそびえる霧ヶ峰から和田峠にかけては日本有数の黒曜石の産地。縄文時代貴重な黒曜石を求めて日本各地から人々が訪れた。ここはそんな地であったらしい。
七年に一度の御柱祭。もみの木の大木を切り出し社までの長い道のりを川を渡ったり急坂を落としたりと毎回死傷者が出る奇祭。その起源ははっきりとはせず、一説によると縄文時代からの名残であるとも。大昔は日本中の至る所でこのような巨木信仰があったとも言われている。
下諏訪にある下社春宮から秋宮の順に巡る。諏訪大社は本殿のない拝殿のみの古い造り。境内に立つ見事な一の柱。太いしめ縄は以前訪れた出雲大社のおおしめ縄を思い出すダイナミックな造り。どこか縄文の匂いを感じる。
茅野方面に車を走らせる。背後にそびえる守屋山が御神体の上社本宮。山懐に抱かれた境内はどことなく神秘が漂う。ここ上社本宮と前宮には御柱祭の他に御頭祭という興味深い祭りがある。
御頭祭を知るべく神長官屋敷に隣接する資料館を見学する。ここは古代からこの地を治める神官の屋敷、名は守矢。この地特有のミシャグジ神(精霊)を操る神事を司りながら代々この地を治めてきた。その昔、上社では年間百十一もの神事が執り行われていたらしい。最大の神事は4月酉の日に行われる御頭祭。神長官によって生き神(大祝)に精霊が上げ下ろしされる祭りだ。かつては75頭もの鹿の生の頭が奉納されていたという十間廊。中心の雄鹿の片耳に刻まれる鋭い切れ込み。この地に残る様々な言い伝え...不思議な祭りだ。
最後は上社前宮。四社の中でも最も古い社が立つ。タケミナカタの伝承が残るこの地はミシャグジの気配が漂う場所でもある。和田峠から甲府盆地へとつながる鎌倉街道沿いの里。孤高を貫く独自の文化をはぐくんできた人々の物語。始まりはここから。
冬季休業中につき孫のTいちの話をもう一つ。
食事の支度の時などはなかなかTいちのお相手はできない。おとなしくしてもらうために最も有効な手段がテレビだ。定番の「おかあさんといっしょ」は堂々たる歌唱力とダンスで安定している。このお兄さん、お姉さんに起用されると一生食いっぱぐれはないらしく、音大 体育大系の狭き門らしい。
最近気になる人物がいる。Eテレで平日の朝7時半からやっている「みいつけた!」という幼児向け番組に出てくるピンクの牛のパジャマを着た変な男。名を「オフロスキー」と言う。いつも浴槽から出てくるが必ずしもお風呂と関係があるわけでもない。毎回のテーマも身近な事柄にとどまらず多岐にわたる。記憶に残らない語りとどこかシュールな視線。真面目にふざけている感じが不思議と子供の気を引く。
このオフロスキー氏(小林顕作)はなかなかの経歴の持ち主だ。日大芸術学部出の44歳。演劇界では知る人ぞ知る存在。劇団ユニット「宇宙レコード」では脚本・演出・主演をこなす。学ラン姿で有名な「コンドルズ」にも所属。「みいつけた!」では楽曲も提供するなどのマルチプレイヤー。こういったソフトなメッセンジャーが次世代に影響を与える。
時々やってくる孫のTいち(一歳半)。買い物好きの夫じいじは来るたびに新しいおもちゃを喜んで買い与える。男の子だなあと実感するのはやはり車系がお好み。それも働く車。街を連れて歩いても軽井沢でよく見られる外車、スポーツカー系には目もくれずもっぱらパトカーや救急車、消防車系の鳴り物ばかり。先日もN松屋のおもちゃコーナーでパーポー(救急車)をお買い上げ。このトミカのミニチュアカーは50年前から生産されているロングセラー商品で私も何台か持っていたが、遊んで良し、飾って良しの優れもの。コレクターが多いのも頷ける。
まずはその造りがすごい。子供の遊び方は容赦ない。廊下や砂場はもちろん、積木や大型おもちゃの中を潜らせ最後は落下、気に入れば浴槽にも入れられ、挙句の果てには巨体を惜しげもなく乗せてくる。それでもトミカは壊れない。アルミ合金製のダイキャスト 一番安全なおもちゃ。もう一つの特徴は精巧に再現されたその姿、細部に渡り美しい。これが400円台で買えるのだから驚きだ。
だいぶ昔の話になるがアメリカにしばらく住んでいた頃、現地で子供のおもちゃをいくつか購入。もちろんミニカーも何台か購入したが、造りに対するこだわりが違う。プラスチック成型品のためトミカほどの耐久性はなく、細かい部品はいつの間にか無くなっていたり、子供を意識した色やデザインもおもちゃの域を脱しない等など、トミカはこの業界では圧倒的に他を上回っていると実感した。これぞ世界に誇れるメイドインジャパン。たかがおもちゃされど...。
冬の軽井沢は意外に明るい。街中を覆う落葉樹の葉が落ちるからだ。葉がなくなって枝だけになった森。
12月。いつにも増してその姿が目につくのが二ホンリス。人間と同じ昼行性の動物。栗色から灰色の冬服に衣替えしたリス達の生活圏は半径1キロ程度。縄張り意識が強い動物らしく2~3匹で木々の間を縦横無尽に飛び回る姿はどう見ても遊んでいる様にしか見えない。
食べ物が少なくなる冬から春に備えてドングリを土の中に埋めている姿は、家中いたる所にへそくりを貯めている誰かの様だ。でもリスはへそくりの在処を全部は覚えていない。食べきらなかったドングリからは翌年クヌギやコナラの芽があちらこちらに。森の再生に一役買っているという訳だ。天敵が少ない軽井沢の森はリス達の楽園。
彼らの暮らしはコロナ以前から何も変わらない。
12月19日をもちまして本年の営業は終了いたしました。誠にありがとうございました。来年の営業は3月からを予定しております。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
軽井沢を拠点に活躍している元バドミントン選手の池田慎太郎さんのとある雑誌でのインタビュー記事にこんな言葉があった。「サステイナブルな考え方を軸に据えたシューケアサービスの会社を立ち上げるなど仕事の幅は広がる一方」こう言った新世代の日本語?理解できない(涙)。夫に聞いたところ、意味は「持続可能な発展的な考え方を取り入れた生活関連の会社を立ち上げたところ仕事の幅が広がっている」という事でひとまず理解。
最近よく聞く言葉で今一つ分からないのがSDGs。
この頃は学校の授業でも取り上げられているらしくお子さんの方がよく理解している様です。これ「持続可能な開発目標」って意味なんだとか。国連で決められた2030年までに達成をめざす、例えば貧困を無くす、ジェンダーの平等、クリーンなエネルギー、気候変動の対策など17の世界的目標と169の達成基準で構成されている。なるほど…平和に暮らすための地球環境に配慮したルール作りって事か。
かつて軽井沢を愛したジョン・レノンの代表作「イマジン」そこから数えて50年目の答え。
Imagine all the people
Livin’ life in peace
明治時代、外国人宣教師 A・C・ショーによって紹介された軽井沢はその後世界の様々な人々を魅了しこの地に呼び寄せている。明治23年に英国公使ヒュー・フレイザーがこの地に別荘を建て、その後宣教師ダニエル・ノルマンや貿易商R・M・アンドリュースなど多くの外国人に愛された軽井沢。最近ではビル・ゲイツの名前なども囁かれるが、あの巨大なシェルターの様な建造物が彼の所有かどうかは都市伝説になりつつある。
とは言え、軽井沢を代表する外国人と言えばジョン・レノンと言ってよいだろう。ヨーコ夫人と幼い息子ショーンとの仲睦まじいスナップ写真は旧軽井沢通りにある軽井沢写真館や彼らがよく通った中軽井沢のカフェ離山房で観る事ができます。
もう一箇所レノン一家が愛した場所と言われるのが老舗万平ホテルのカフェテラス。ここのロイヤルミルクティーがレノンのお気に入りだったそうで、今も変わらぬ味を保っているそう。以前一度このホテルで紅茶をいただく機会があったが、その記憶が忘れられない。軽井沢の伝統的な建物に北ヨーロッパのハーフティンバー様式が加味され独特の雰囲気を漂わせる。もう一度体験してみたく万平ホテルを訪れた。
格式の高い万平ホテルだが、野外に面したカフェテラスは気軽に大正ロマンを味わえる。ここから世界平和を願ったジョンとヨーコ夫妻をイマジン。口元には香り高きロイヤルミルクティー。
北陸新幹線、高崎を過ぎるといくつものトンネルを通過しながら標高が上がっていく。軽井沢駅に近づき「次は軽井沢駅に停車します」のアナウンスが聞こえる。このアナウンスにどことない違和感を感じる。アウトレットに直結した近代的な駅舎。東京24区の軽井沢に来た気がするのは私だけかしら。
ここ東信地方を地元とする私にとって、ここは皆さんが知っているセレブな避暑地軽井沢とは少しイメージが違うかも知れません。中山道軽井沢宿であり古くから外国人が暮らす歴史ある街。度重なる浅間山の噴火と戦後満州からの引き揚げ者による農地開拓など、その長い歴史を知る私たちの呼び名は「かるいさわ」(語尾を少し上げる感じで)
親戚が集まっても地元の人は「かるいさわ」と言う人が多い。この発音の違いって何かしらと調べてみたら ああやっぱり… 元々は「かるいさわ」だったらしい。
今から135年前、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーが軽井沢を別荘地とし、その後外国人が次々と訪れるようになっていった。外国人にとって「カルイサワ」はやや発音しにくく彼らの中で自然と「カルイザワ」と呼ばれるようになった様です。これをそのまま受け入れて日本人も「かるいざわ」と呼び名を変えてしまったのですから、なんとも日本的ないきさつですね。
昨年度の軽井沢町への転入者は約600人。長野県内ダントツの移住者数。テレワークの普及などにより転入者超過傾向が続いています。私も7年前にここを終の棲家に決めた一人。135年前とは違う新たな移住者たち。私の知っている「かるいさわ」は遠い昔の事。