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尖石縄文の物語

八ヶ岳連峰

茅野市。雄大な八ヶ岳を臨む美しい里。

以前この近くに住んでいた私は、ここでその頃の友人との再会を果たす。その帰り道、八ヶ岳山麓白樺湖方面へ帰路の途中「尖石縄文考古館」の案内がチラッと見えた。確かここには二つの国宝がある。

縄文のビーナス
仮面のビーナス

実に存在感のある二体の像。一つは子供を宿した裸体。もう一つは仮面と美しい装飾の衣装を纏った正真正銘本物の縄文女性。

別の部屋には沢山の土器が展示されていた。煮炊き用の土器の他に複雑な装飾の儀式用の土器を沢山見る事が出来る。その中で私の目を引いたのがこの人面土器。宗教儀式に使われた道具のようだ。上部と下部に人面のついた土器の中に火を灯すとまるで全身が炎に包まれた出産の光景の様にも見えてくる。

顔面把手付土器

古事記の一場面にイザナミノミコトは火の神カグズチを産んだ時、全身炎に包まれた。それが原因で亡くなってしまう。その後黄泉の国へ‥「そんな物語がもしかしたら縄文時代から語られていたかもしれない」そんな学説を以前読んだことを思い出した。

2000点以上の展示品が充実しているとても見応えのある考古館。いつの日か再び訪れてみたい所。

洗練された深鉢型土器

新幹線がもたらしたもの

1991年6月15日。冬季長野オリンピック招致決定のニュースが飛びこむ。この決定がその後の長野県の運命を大きく変えた。

長野オリンピックのカーリング期間中燃え続けた聖火台 ~ 風越公園

1972年頃からスタートした北陸新幹線の前身である長野新幹線の導入計画。碓氷峠の急勾配の問題等紆余曲折を経て10年後ようやく東京⇄軽井沢間はフルモデル規格の新幹線、そこから先は在来線を利用したミニ新幹線の導入が決定した。ここに至るまでも相当なごたごたがあり(割愛)JRの経営不振もあってなかなか進まない新幹線計画であったが、そこに舞い込んだオリンピックの招致獲得で一挙に方針は転換。全線フルモデル規格に変わり国家予算も導入され計画は一気に遂行される。

北陸新幹線あさま ~ 佐久平駅

当時、鉄道沿線から大きく離れた地域に住んでいた私達は、その後の新幹線沿線の目覚ましい発展を20年に渡り遠くから目にする事になる。仕事の関係もありその後軽井沢へと住まいを移した理由は、豊かな自然に加えて首都圏に直結している事の重要性を痛感していたからだ。

佐久平駅 蓼科口

現在、北陸新幹線の導入により軽井沢はもちろん、首都圏と大動脈で結ばれた長野市は地域の中核都市として見事な変貌をとげています。又新幹線駅を新たに獲得した佐久市についてもその後の発展は言うまでもありません。

住みたい地方ランキングの常に上位にいる長野県は、その美しい自然の他にこういった背景もあるのでしょうね。

にゃんとも寒い冬

餌台に来たアカゲラと日本リス

大寒の頃から強烈な寒波到来。寒さに慣れている軽井沢でもマイナス13度予想は厳戒態勢。近年軽井沢への移住者が格段に増えているが、寒いを通り越して痛い程の寒さに耐えきれずに、ここを出る決断をする人も少なからずいると聞きます。札幌よりも平均気温が寒い軽井沢に住むには覚悟だけではダメ。それなりに高断熱の家と寒冷地に適した暖房器具が必要不可欠な所です。

クロちゃん

こんな極寒の林の中を黒い塊が横切る。「クロちゃんだわ」今年はこの地で越冬しているんだ。お気に入りのシャクナゲ、冬は葉が縮み見る影もなく近くの餌台の下でうずくまる。昨年から時々見かける虎猫のトラちゃん(こちらの名前も勝手につけさせてもらいました)。仲良く連れ立っている姿も時々見かける。「あいつらは寒く無いのか?毛皮をまとっているから平気なのかな」かく言う私も今年の冬は室内でもダウンのパンツとベストを着用。

このトラちゃんだがちょっと素行に問題があるらしく、ご近所の庭先にトラちゃんの指名手配が出ていた事も‥。なにやらあちこちの屋敷に忍び込み、雉鳩を採ったり水槽の魚を拝借するなど悪事の数々。「へーそんな事出来るんだ。すごいやん」などと言ったら怒られるか。

トラちゃん Wanted

室内から窓越しに見る野生動物達やご近所の飼い猫。どちらも適度な距離感でのお付き合いがよろしい様です。

新年はボサノバから

1月7日 土曜日 16時 気温1度。久しぶりのコンサートに向かう。コロナ生活も3年余り経ち、ようやく生で音楽を聴ける環境になった。本日の主役は「小野リサ」お店でも時々かけているボサノバの定番。

大賀ホール

谷ヶ崎にある大賀ホールは、立木に囲まれた軽井沢らしい佇まい。ソニーの名誉会長である大賀典雄氏によって寄贈された客席数784のこじんまりとした建物。五角形の形状はホール内どこの席にも音が均一に届く様にと言う大賀氏の意向を反映したものだ。小規模な会場を生かして、クラシックやジャズ、懐かしのJ-POPなどのコンサートが年間を通して催される。

谷ヶ崎池を望むロビーでドリンクを一杯。冷え切った体を温めてから座席に着く。見上げると立ち見席も含めほぼ満席。演奏会独特のざわめきの後、舞台はオレンジ色に包まれ遠いイパネマの夕暮れへと誘う。始まりはフルートとピアノの調べから。艶やかな群青色の衣装を纏った往年の女神、その静かな歌い出しはいつものあの声だった。今年も穏やかな一年である事を願うかの様に。

今年もありがとうございました

なつめクラフトは12月26日を以て今年度の営業を終了し冬のお休みに入ります。皆様のご来店・ご愛顧に厚く感謝申し上げます。

来年度は3月中旬の営業開始を予定しています。詳細が決まりましたら本ホームページでご案内いたします。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

名峰は海の底から

戸隠連峰

戸隠連峰。

戸隠宝光社から鬼無里へ向かう農道から、標高2000メートル級絶壁の峰々を望む。昨夜の積雪。山肌は午後の日差しを受けて燦然と輝く。

新そばを味わうのなら戸隠。残念ながら今年も中社前の「蕎麦処うずら家」は休業中でお休みの看板。つくづくここには縁が無い様だ。またしてもお預け。中社、奥社‥は何度も訪ねていたのでこのまま帰ろうかと思ったが、ふと見つけた案内板に導かれ栃原にある戸隠地質化石文化博物館を訪れた。こちら小学校廃校を再利用した博物館で期待せずに行ってみたところ、予想外に面白かった。

3階展示室

3階は2000万年前ここが海の底であった頃の象や海洋生物の化石がわかりやすく展示。2階は地層や生態系の標本。1階はこちら柵(しがらみ)小学校の歴史。昭和の学用日から学校に長年保管されていた膨大な収蔵品の数々。

2階廊下 標本の棚

子供の頃、学校の理科室にあった人体模型やホルマリン漬けの小動物が懐かしさとともに目を引く。これだけ当時の学校用具や標本類を残してある所って珍しんじゃないかしら。「よくぞ残しておいてくれた。涙」そんな思いと共に教室から教室へと長い廊下の展示物を鑑賞する。なんとも不思議な旅になった。

1階展示室

P.S. 帰り際に学芸員で館長の田辺さんが、法螺貝を吹いて見送ってくれます。

しなの鉄道に乗ろう

「ラーメンを食べる」

ただそれだけの為にここ追分から片道6キロの道のりを中軽井沢の駅まで歩く。軽井沢に住んでいるとつい、そんな事をしてみたくなる。

古宿地区

晩秋の森は日々明るさを増す。足取りも軽く街道を行く。中山道借宿から古宿、この辺りは宿場の佇まいが残りここが軽井沢である事を忘れる景色。木立の隙間から時折見える国道は軽井沢駅方面に向かう車で大渋滞。(上田方面からアウトレットに向かうお客さんは車ではなくて、しなの鉄道を利用するのがよろしいですよ。)渋滞を横目に1時間半ほど歩いて中軽井沢に着く。駅前のラーメン店「無二」で醤油ラーメンをいただく。長い道のりもあってか至極の一杯。

中軽井沢駅(沓掛テラス)

ご馳走様の後は、帰りの電車の時間まで30分。ここ中軽井沢駅には軽井沢図書館が併設されている。この図書館がスゴイ。カフェとみまごうほどの美しい図書館なのだ。蔵書数も多く雑誌も読み放題。気がつくと電車の時刻が迫っていた。ホームで待っているとなんとも昔懐かしい電車が入って来た。佐久地域星空トレイン「晴星」とネーミングされ た115系瑠璃色の鉄製ボディー。押し上げ式の窓が懐かしい。鉄道博物館で見た車両に乗れるなんて気分は上々、しばらくの間私は「撮り鉄」に変わった。

信濃追分駅に停車中の「晴星」

ベーカリーストーリー

今や、日本中いたる所に見られるベーカリーであるが、ここ軽井沢周辺はパンの激戦区と言われ新旧様々なベーカリーが点在する。パンを食べるだけの為に軽井沢に来る客もいるらしい。ここ数年、新たに参入した店もなかなかの実力店が多く開店1時間でほぼ売り切れ、そんな小さな店を探すのもパン好きにはたまらない聖地らしい。パンについての紹介は多くのブロガーにお任せするとして、私は以前、母から聞いた浅野屋さんのお話を。

ブランジェ浅野屋 軽井沢旧道店

ブランジェ浅野屋。創業80年、旧軽銀座通りで始めたこの店は当時軽井沢に住んでいた外国人達に本場の味を提供した歴史ある店。母が聖アントニオ幼稚園で働いていた70年程前、神父様に頼まれてしばしば買い出しに出た思い出の店でもある。当時軽井沢で本格的なハード系のパンを売る店はここだけで、外国人達の朝食には欠かせないものであったらしい。現在は東京横浜を含め13店舗で展開している。先日、東京駅でお馴染みの看板を見かけ「軽井沢の浅野屋さんだわ」と購入して帰ったが後で調べて見ると元々は東京麹町の食料品店が軽井沢にパン屋として出店したのが始まりであったらしい。フルーツライが1番人気だが、角食パンも定評がある。実は私の今日の目的は、パンではなくてこちら。

メンチカツ

浅野屋さんのメンチカツは、お肉がたっぷりの本格メンチ。浅野屋さんの数々のパンの中でも私の一番のお気に入りで(これはパンでは無いな)、晩のおかずが足りない時などは時々このメンチのお世話になる。脂切れが良くてサクサクとした歯触りの衣は肉を引き立てる見事な味。さすがパン屋さんの衣。

はじめの一歩

東京に住む娘から突然、連絡が来た。「Tいちがまた熱を出した。保育園を休まなくてはならないが、もうこれ以上会社休めない。母さん来てくれ。」

早速、荷物をまとめて娘の住むX駅まで行くことになった。ここまではよく聞く話だが私には一つ問題がある。生粋の長野県人である私は東京に住んだ経験が無い。つまり娘の住むアパートまで一人で行くことが出来ないのだ。(私の様な地方人には以外と多い。)

娘の住むX駅に行くには東京駅を含め3回乗り換えねばならない。とりわけ新宿駅が最大の難所。急きょ夫とその場に居合わせた次女とで対策チームが組まれる。「新宿駅乗り換えは母さんには無理だ!」私も以前、家族と共に新宿駅の構内を歩いた経験はあるがあそこはまさに伏魔殿。降りたら最後、迷宮入りしそうだ。

秋晴れの朝、軽井沢駅から新幹線に乗る。一人で乗る機会がほとんど無い私はやや落ち着かない。東京駅に着く。言われた通り新幹線改札を出てオレンジを目安に中央線のある1・2番線へ、恐る恐る乗り込む。「無事に乗れたか?次はここで‥」ひっきりなしに来る夫や娘からのLINEで景色を見る余裕も無い。K駅で下車。そこからバスに乗り換えてようやく一息ついた。見覚えのある並木道が続く。「東京は地方に比べ子供の割合が多いなあ」などと考える余裕も出た頃、程なくアパート近くの降車ボタンを押す。

バス停には、娘夫婦と共にTいちが元気に迎えに来ていた。「なーんだ、元気そうじゃないの」笑い

門前の大倉庫

長野県立美術館で今週末まで開催の「ジブリパークとジブリ展」は想像以上の内容で大満足。上機嫌で長野駅まで2.5キロの道のりを歩いて下ることにした。途中、善光寺を抜けて参道に出る。高校時代、長野市に通っていた私がこの辺りを歩くのは実に40年ぶりの事。

八幡屋礒五郎前 

土蔵造りの店舗が立ち並ぶ、石畳みの表参道。古民家はカフェにリノベーションされ長野オリンピックを境に驚くほど美しい街並みに変わっていた。

権堂商店街

途中、アーケードが美しい権堂商店街に立ち寄る。およそ観光とは縁のなさそうな商店が並ぶレトロな街並み。見覚えのある看板が今も残っていてなんとなく嬉しかった。昭和の雰囲気が残る照明や原色の昇り旗がアーケードを飾る。ほんの数時間前にジブリ展で見た、細長い回廊や天窓が広がる大倉庫とどこか景色が重なる。不思議な気分だ。少し歩くと左にロキシーの映画館が今も昔のままの姿で営業していた。明治時代に芝居小屋からはじまった日本最古級の木造映画館は、増改築を繰り返しながらも骨組みは明治時代の姿を保っている貴重な文化財でもある。正面のチケット売り場が時代の雰囲気を感じさせる。

長野相生座・ロキシー
 阿部レコード店

こちらは阿部レコード店。学校の帰り道何度か立ち寄った思い出がある。「ふふっ、今もレコード売っているかしら」(阿部レコード店は現在は演歌を中心にカセットが充実している)

更に進むとアーケードは一旦終わり、その先にあったのは善光寺門前油問屋三河屋。築170年の建物は現役を終え現在は展示館になっていた。暖簾をくぐり丁場を抜け、台所、中庭、そして一番奥にあったのは見事な蔵。さて蔵の中には‥

蔵(油問屋三河屋庄左衛門商店)