シダの庭
雨上がりの朝、庭を歩く。ここ軽井沢は浅間山の南斜面に面している為、鬱蒼とした立木の下も木漏れ日が差し込んで陰気な場所が少ない。チラチラと差し込む日差しの下から鮮やかな緑色に輝くのがここに多く自生している苔やシダ類だ。ここ特有の冷涼な気候と高めの湿度が苔やシダの生育に適している。このシダ類だが、一見地味ではあるがなかなかに味わい深い。
新芽はコゴミとも呼ばれるクサソテツやその仲間、幅広葉のコウヤワラビなど大小様々。オニシダは山中の東斜面に群生し、その姿は図鑑で見た恐竜の挿絵を思い起こさせる。
オニシダ群生
これらはシダ植物という独特の分類に属し、花は無く胞子で増えるかなり原始的な植物だ。ワカメなどの水中植物と陸上植物の境目に当たるのが苔類でそこから分岐してシダ類が生まれ約3億年前に大繁殖した。種類はおよそ700種あると言われ詳しい人でもよくわからないものが多いとか。その中でも一つ私のお気に入りのシダがある。「孔雀シダ」その姿は格別に美しい。春の芽吹きは見事な赤い色。夏場は涼しげな緑色から秋になるにつれて徐々に独特なグラデーションに変化する。
孔雀シダ(冷涼な気候を好むらしくこの地に合っている)
これも軽井沢の自生種の一つ、園芸種には見られない独特の美しさを持つ。
九州旅行最終日、霧島市から霧島神宮に向かう途中の険しい山間地。駐車場から200メートルほど急な階段を登る。亜熱帯性の植物が生い茂る森を抜けると、巨大な岩にぽっかりと開いた小さな入り口があった。
霧島市 熊襲の穴入り口
恐る恐る入ると中は意外に大きく100畳ほどの空間が広がる。今は通行止めだがその奥には更に300畳ほどの第2屈が続いているらしい。年間降雨量2500ミリ温暖多雨のこの地帯ですが、中は適度な気温が保たれており快適な空間が広がっていた。
洞窟内部(萩原貞行氏によるアートが施されている)
ここは「熊襲の穴」。古代からここを統治していた川上タケルが、女装して女達に紛れて侵入したヤマトタケルによって誅殺された場所と言われている古事記の舞台。
宮崎から鹿児島の県境一帯は古代クマソと呼ばれる人々が暮らしていた。その血は勇猛果敢で知られる隼人族へと受け継がれていった。日向の地は至る所に洞穴、巨岩、古墳が点在する。そこは天孫降臨から続く物語の舞台であり、それより更に前の時代の痕跡が残る場所。
高千穂町 天安河原 天照大神が岩戸にお隠れになった際、神々がこの河原で相談したと言われる岩谷
西都市 西都原古墳群 鬼の崫 コノハナノサクヤヒメに恋をした鬼の伝説が残る古墳
宮崎市 青島神社 山幸彦がワタツミの宮から戻られた場所
早朝、私達の乗ったフェリーは大分港に着岸。自家用車で阿蘇方面に向かう。豊後原尻の滝辺りから登るにつれ鬱蒼とした杉林が徐々に草原へと変わって行く。
豊後大野 原尻の滝
熊本に入り阿蘇の北外輪山へと進む。波打つような大地が幾重にも重なる独特の地形。その中でも一段高い丘の上に尖った石のようなものがみえた。
押戸石の丘
これが縄文の聖地と呼ばれる「押戸石の丘」。シュメール文字が刻まれていると何かで知ってからどうしても見たくなった。「ガッカリスポットの可能性も有るな。」そんな一抹の不安もあったがここに来て見事にその不安は覆される。丘の上に立つ石群は周りに岩など全く無い大地に確実な存在感を放っていた。中でも押戸石と呼ばれる一際大きな岩は、神と交信しているかの如くそこにあった。シュメール文字は風化が進みかすかに痕跡を感じる程度だったが、むしろリアルに感じられた。
押戸石
丘の上からの絶景は言葉を失う。360度地平線の彼方まで全く人工物は見当たらない。9万年前4回にわたり阿蘇カルデラを作り上げた巨大噴火が火砕流となり九州一帯に広がった。その後長い年月を経て侵食が進みこのなだらかな大地を作り上げた。これは、かつてこの地に岩を運び文字を刻んだ人々が見たものとたぶん同じ景色。
頂上からの絶景
浅間山の南斜面に広がる、軽井沢の森林地帯は日本でも有数の野鳥の森。
最盛期の今は、様々野鳥や小動物が見られます。
常連さんが、こちら。
黒い帽子にブルーグレーのジャケット。白いワイシャツ黒いネクタイを締めたシジュウカラ。人懐こい性格でツーツーチー、ジュクジュクなどとにぎやかに鳴く。比較的低い枝から枝へと飛び回るので、近い距離で観察できます。年に2回繁殖するシジュウカラは森や生垣のあちこちで見かけます。2、3尾で追いかけっこをしている姿は遊んでいるように見えますが、実は熾烈な縄張り争いでもあるようです。
左からカワラヒワ、アトリ、シジュウカラ
この小さなシジュウカラ。実は全体の90%は一年以内に命を落とすらしい。厳冬期、家の軒下でひっそりといのちを落としたシジュウカラの遺体を土中に埋める。私にとって「生命」と言うものを感じる瞬間でもある。
諏訪地域は諏訪湖と諏訪大社で有名な温泉地。ここに以前から気になっている温泉施設がある。
片倉館
昭和3年に建てられたこの洋館が「千人風呂」の名で有名な片倉館。建てたのは片倉佐一(二代目片倉兼太郎)。シルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥を作った男だ。1873年父親の市助が諏訪市で10人取りの座繰り製糸を始めた事をきっかに、1917年佐一の代には朝鮮も含めて62ヶ所の製糸工場へと発展させ日本最大級の製糸企業に発展、巨万の富を得た。
階段にある佐一の肖像画
ところで、映画「犬神家の一族」のモデルとなった人物がこの片倉佐一であるという事、ご存知でしょうか。犬神佐兵衛−片倉佐一。「佐」の字の共通点でピンと来た方もいるでしょう。
片倉佐一が没したのは1934年。図らずも同年、作家横溝正史はここ諏訪の地で肺結核の療養を開始したのがこの年。物語の原型となるさまざまな噂話が横溝の耳にもはいっていただろうことは推測できる。
券売所
館内に入る。券売所、ロビーと約100年前の貴重な文化財が今も現役で市民に解放されている。浴場は天井が高くステンドグラスを眺めながらの入浴はどこか教会の礼拝堂のような佇まい。深さ1メートルほどのプールの様なスタイルの浴槽に立ったまま浸かる。2階にはカフェの様なモダンな休憩所もあり年代物の蓄音機、諏訪湖を一望できるバルコニーなど庶民に娯楽や憩いの場を提供しようとした佐一の思いが感じられた。
井出野屋旅館
片倉館を後に帰りぎわに寄ったのが中山道望月宿。目的はここ井出野屋旅館。犬神家の一族で金田一耕助が泊まった那須ホテルのロケに使われました。
大正時代の面影を残す小さな旅館。高級宿にはない素朴な雰囲気が金田一耕助のイメージに重なる、そんな宿です。(現在旅館業は閉業)こちらへは軽井沢追分から車で30分ほどで行かれます。
貝合わせ雛
「貝合わせ」とは古くは、平安時代から伝わる宮廷の遊び。当時は360もの蛤の貝殻を左貝(出し貝)と右貝(地貝)に分けて、多く取った者の勝ちを競う遊びでした。その後、貝の内側に一対の絵を施したり和歌の上の句と下の句を分けて書いたりなど鑑賞用として現代にいたっています。雛人形や五月人形を出したりしまったりとちょっと面倒くさい時もありますよね。何となくやめられなくて続けているこう言った年中行事ですが、数年前こんな小さなお雛様を見つけてちょこっと飾っています。
今年はいつに無く暖かい冬ですね。とは言え軽井沢の冬は寒い。庭の手入れも畑仕事も無いこの季節は路面が凍結すると日中の散歩もままならない。この時期うってつけの仕事がこれ。
編みかけのフード
ちくちくとひと針ひと針編む。今編んでいるフード、手が遅い私はここまでで3時間ほどかかる。編み物をしない方は「なんて面倒臭い事」と思うでしょうね。これ、やり始めると何故かやめられないのです。編んでいると無心になれると言うか心地よさすら感じる。同じ工程の繰り返しの単純作業とほんのわずかづつの成果が心に平安をもたらす。
竹細工、機織りや着物の仕立て。かつて日本人の暮らしの中には様々な手仕事があって暮らしを支えていた。生活を支える労働と言ってしまえばそれまでですが、手仕事にはそれ以外にも手元に意識を集中する事でほんのその時だけ日常を忘れたり、明日へのエネルギーを蓄えたりする効果もあるんですよね。ヨガや写経の世界観に通じるものを感じます。
春夏ニット帽
「芸は身を助く」我が家では母方に代々受け継がれてきた言葉。母からもらった毛糸を編みながら「なるほどこう言う意味もあったのか」と思うのです。
2023年の営業は12月10日を以て終了いたしました。来年は3月中旬に営業を開始する予定です。予定が決まりましたら本HPでお知らせいたします。
本年も余すこと半月、年末年始の気ぜわしい毎日かと思いますが、どうぞ皆様お健やかにお過ごしください。
雲場池 2023年12月9日撮影
中古市場を探していると、時々胸踊る様な雑貨に出会ったりする。先日も、とある店の棚の奥にクリスマスに飾るスノードームみたいな可愛い卓上カレンダーを見つけた。よく見るとドームの海にシーソーに乗った2羽のペンギンと台座には日付を手動ダイヤルで設定できる様になっている。チープなお土産ですが私はこの手の雑貨に目がない。
ペンギンドーム
シーソーの台にはPHILLIP ISLANDの赤い文字。こう言う時にすごく便利なのがスマートフォンの検索機能だ。画面に現れたのは光あふれるペンギンの島。「フィリップアイランド」オーストラリアメルボルンから車で90分の所にある楽園。豊かな自然と野生動物が楽しめる。特に日没に見られるリトルペンギンのパレードが有名で多くの観光客が訪れる。広大な自然公園、海辺の遊歩道、多様な動植物、サーキットにワイナリー。行った事も無い島に思いをはせる。
軽井沢追分にあるHandmade Work Shop Natsume Craftです