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工芸品のある暮らし

軽井沢に住むようになってかれこれ10年になる。多少こだわった注文住宅。作り付けの収納が主で家具もほとんど無いシンプルなしつらえに揃えてはみたが、この頃ちょっと物足りない思いを感じるのはなぜだろう。そんな時に目についたのが軽井沢彫だった。なかなか高価なものだが一つ思い切って仏壇を特注で設えた。仏壇という選択は良かったかもしれない。桜の浮き彫りと濃い茶の色合いは、他とは違う特別な家具である事を演出してくれるからだ。

軽井沢彫 仏壇

先日井上百貨店の閉店イベントへ行った。そこでの催し物会場でやっていた長野県伝統工芸店。目に留まったのがこれ農民美術。見ているとどことなく北欧雑貨の面影を感じる。マメリッコ、リサラーソン、フィッキオ‥近頃、雑誌の特集と言えば北欧雑貨ばかりだけれどこんなに素朴で味わいのある物がすぐ近くにあったとはね。(苦笑い)

農民美術 小澤敏春作 鳥楊枝入

農民美術とは画家山本鼎がロシアの素朴で美しい農村の工芸品にヒントを得て大正8年に小県郡神川村で立ち上げたのがはじまりで、その後上田市を中心に盛んに作られるようになった。松本民藝や軽井沢彫と並ぶ信州の特産工芸品。

子供の頃そんな木彫りが生活のあらゆる所に浸透していて、我が家にも玄関には上田獅子や山野草の額が、居間にはリンドウの状差、かぼちゃを模した小箱などなど。あの頃、身の回りには温かみのある工芸品で溢れていたな。そんな事を思い出した。

信濃国分寺蘇民将来符、農民美術上田獅子、軽井沢彫小箱

大手家具チェーン店の収納ボックスを買い揃えることに何か違和感を覚え始めたこの頃。私の答えはここにあったかもしれない。

下り山道

貫前神社

「おおー。」実に見事な下り山道。

群馬県にある一宮貫前神社。貫前と書いてぬきさきと読む。軽井沢の近くに日本三代下り宮の一つがあると知り行ってみる事にした。ちなみに他の2つは宮崎県の鵜戸神宮と熊本の草部吉見神社。

関越道下仁田インターを降りて、下仁田街道を15分ほど走った所にある貫前神社。創建は古く、安閑天皇元年(531)。御祭神の一柱は刀剣の神、経津主神。ともう一柱は養蚕の神である姫大神。下仁田街道沿いは古い神社が多数あり、鏑川下流の吉井には奈良時代初期の古碑「多胡碑」、高崎方面には巨大前方後円墳が密集している。群馬県はそう言う意味で意外と面白い所なのだ。

この貫前神社だが、鹿占など特殊神事が多く謎に満ちた神社とも言われている。鹿占とは鹿の肩甲骨を焼いた時にできるひび割れによって吉凶を占う手法であり弥生時代には日本各地で行われていた。御祭神の姫大神は天竺の大王の姫君であったと言う。何かと渡来系の言い伝えが多い上野国。

本殿軒先

3代将軍家光により造営された社殿の壮麗な色彩は実に見事。境内の整った植栽と併せて、上野国一宮にふさわしい。

小諸街歩き

近頃よく話題に上がるのが小諸。街のリノベーションが成功している例として全国の市町村からの見学が絶えないらしい。軽井沢の飲食店の店主オススメの店とかも増えている。軽井沢と比べて値段が安い上にオシャレで味も良いと聞けば行くしかない。

まずは、老舗の酢久商店。構えが素晴らしい古さと新しさが絶妙にマッチした外観。

酢久商店

次はお隣のラーメン店へ。自家製のお味噌(山吹味噌)を使った味噌ラーメンが売り。

酢久商店・信州味噌ラーメン店内
ラーメン店2階の美しい舟形天井

向かい側にある海應院。関ヶ原に先立つ上田合戦で真田と徳川による駆け引きの舞台となったお寺。樹齢380年の松(潜竜の松)が見事。

海應院

こちらは、相生町にあるフラワーフィールド。レトロなスナックビルを改装した花屋。スナック夕子の看板はそのままに二階に上がるとスナック夕子が見学できる。

フラワーフィールド
スナック夕子店内

懐古園の東側に沿って北国街道が続き外側には神社仏閣が囲む城下町小諸。歴史ある小諸の街並みを生かして古民家をリノベーションしたカフェや商店が続々と出展。街歩きが楽しい。

クリスマス・イブ

「いい音しか残れない」1980年。マクセルのカセットテープのCMに流れた山下達郎のRide On Timeとの出会いから43年。生活のあらゆるシーンに達郎の曲があった。

コンサートポスター

とある朝の事だ。「夏に達郎のツアーあるみたいよ」シュガーベイブ時代からを知る夫に伝えると、彼の魂に火がついたのかチケット争奪戦が始まった。7会場応募してようやく手に入れたプレミアムチケット。本来、8月7日のはずのコンサートは(風邪の為)延期となり待ちに待った再演は12月18日名古屋センチュリーホール。

名古屋センチュリーホール

音響にこだわる達郎が選んだホールと言う事もあり、オープニングから素晴らしいサウンド。

来年でデビュー50周年を迎える達郎の声は古希を超えて今、なお進化していた。シュガーベイブ時代の懐かしい曲から最新の曲まで数々の名曲が思い出と共に胸を打つ。中盤で流れた名曲クリスマス・イブ。アカペラとイルミネーションに彩られた演出は最高のクリスマスプレゼントになった。アンコールの締めくくりはYOUR EYES。それはまるで、来る年の平安を祈るかの様に届けられた。

トロルがいる

滝のある岩場の風景 マルクス・ラーション

遠い太陽、青くない空。北欧の景色はどことなく神秘性を帯びている。

踊る妖精たち アウグスト・マルムストゥルム 

松本市美術館で開催されている「北欧の神秘」展。北欧の深い森と水の世界はここがとても厳しい気候風土であることを教えてくれる。絵画展はしだいにそこから樹木や水の精霊が姿を現す。この地に根付く神話の物語が登場し見事にその景色の中に融合していた。

トロルのシラミ取りをする姫 テオドール・キッテルセン

最後にそこに加わった人々が物語の世界と共存する様にそこにいた。編み物をする女性の口からは呪文のような唄が聞こえる。

コール・マギット アンダッシュ・ソーン
ティンメルマンスガータン通りの風景 エウシャン・ヤンソン

この建物はまるで肖像画。「トロルがいる」そんな風に思えてくるから不思議だ。

おやじの車

夫はかなりの車好きだ。パソコンで仕事をしていると思いきや、覗くと車のサイトを見ているなんて事もしばしば、ほぼ病気。

なぜかこの一番暑い時に名古屋にいる。エアコンの効いた所という理由で豊田産業技術記念館に逃げ込んだが、入ってみるとそこはトヨタ好きの人は一度は行かなくてはならない聖地みたいな所だった。

歴代の繊維機械展示

大変よく出来た博物館で社員の説明が実に丁寧だ。繊維機械から始まり日本に初めて自家用車を普及させたトヨタの歴史が一挙に見られる。車と言うよりも、ものづくりに対する日本人の魂みたいのを感じる場所。

展示館の最後のブース自動車館に来た。ズラーっと車が並んでいる。1936年のA A型乗用車から懐かしい名車の数々。疲れていた足取りが急に軽くなり、とある車の前で夫の足が止まる。カローラ「おやじの車だ」。

初代カローラ

夫の車キチガイのキッカケを作った亡きおじいちゃんの2台目の車らしい。「なかなかオシャレじゃん」。こちらが3代目のコロナ

コロナT40型

と言いながら何かを探している。「一台目のパブリカがない。メチャクチャ力のない車だったけど‥」と何やら車と思い出が重なっている様子。

昭和30年代に自家用車なんて持っている人はウチの界隈では花岡(洋品店の社長)さん位だった当時を振り返る私。

なるほどね。スラーと背の高いどこかカッコ良かったおじいちゃんは、相当な車道楽であった事だけは、はっきりした。

パブリカ、当時愛車の色は若草色だったそうな

40年越しのメッセージ

1980年代を代表するポップアート。キース・ヘリング。一見顔のないフィギュア達がブレイクダンスをしているかの様な絵だが、彼が31年の短い生涯をかけて訴えたものは、核軍縮や社会に潜む様々な暴力である事を当時高校生だった私は何も知らない。

作品と本人

幼少期、キース少年はペンシルベニアの自宅のテレビで、ベトナム戦争という非日常的な紛争を目にした時から徐々に芽生えて来たある思い。それは20代に入り様々な平和活動とともにポップアートという形で世界へと我々にメッセージを届けていった。

エントランス

ここは小淵沢にある中村キース・ヘリング美術館。彼の生涯を辿りながら、沢山の思いが感じられるオシャレでエネルギーに満ちたミュージアムです。真っ暗な部屋から始まる展示は次第にモノトーンのブース、最後はキースらしいピュアホワイトの部屋いっぱいにポップな世界が広がっていくが、それらはよく見ると、何かに対する抗議であったり互いに手をとり合う人々の姿でした。

80年代。カメラを向けられると無邪気にピースサインを出していたあの頃の私は、ヒッピーやウーマンリブ、ポップカルチャーなど、それらの本当の意味するところなど知るよしもなかった。40年越しに、少し理解したつもりで見つめると、あの時とはまた違う世界が見えてくる。

シダのある庭

シダの庭

雨上がりの朝、庭を歩く。ここ軽井沢は浅間山の南斜面に面している為、鬱蒼とした立木の下も木漏れ日が差し込んで陰気な場所が少ない。チラチラと差し込む日差しの下から鮮やかな緑色に輝くのがここに多く自生している苔やシダ類だ。ここ特有の冷涼な気候と高めの湿度が苔やシダの生育に適している。このシダ類だが、一見地味ではあるがなかなかに味わい深い。

新芽はコゴミとも呼ばれるクサソテツやその仲間、幅広葉のコウヤワラビなど大小様々。オニシダは山中の東斜面に群生し、その姿は図鑑で見た恐竜の挿絵を思い起こさせる。

オニシダ群生

これらはシダ植物という独特の分類に属し、花は無く胞子で増えるかなり原始的な植物だ。ワカメなどの水中植物と陸上植物の境目に当たるのが苔類でそこから分岐してシダ類が生まれ約3億年前に大繁殖した。種類はおよそ700種あると言われ詳しい人でもよくわからないものが多いとか。その中でも一つ私のお気に入りのシダがある。「孔雀シダ」その姿は格別に美しい。春の芽吹きは見事な赤い色。夏場は涼しげな緑色から秋になるにつれて徐々に独特なグラデーションに変化する。

孔雀シダ(冷涼な気候を好むらしくこの地に合っている)
 

これも軽井沢の自生種の一つ、園芸種には見られない独特の美しさを持つ。

日向を行く

九州旅行最終日、霧島市から霧島神宮に向かう途中の険しい山間地。駐車場から200メートルほど急な階段を登る。亜熱帯性の植物が生い茂る森を抜けると、巨大な岩にぽっかりと開いた小さな入り口があった。

霧島市 熊襲の穴入り口

恐る恐る入ると中は意外に大きく100畳ほどの空間が広がる。今は通行止めだがその奥には更に300畳ほどの第2屈が続いているらしい。年間降雨量2500ミリ温暖多雨のこの地帯ですが、中は適度な気温が保たれており快適な空間が広がっていた。

洞窟内部(萩原貞行氏によるアートが施されている)

ここは「熊襲の穴」。古代からここを統治していた川上タケルが、女装して女達に紛れて侵入したヤマトタケルによって誅殺された場所と言われている古事記の舞台。

宮崎から鹿児島の県境一帯は古代クマソと呼ばれる人々が暮らしていた。その血は勇猛果敢で知られる隼人族へと受け継がれていった。日向の地は至る所に洞穴、巨岩、古墳が点在する。そこは天孫降臨から続く物語の舞台であり、それより更に前の時代の痕跡が残る場所。

高千穂町 天安河原 天照大神が岩戸にお隠れになった際、神々がこの河原で相談したと言われる岩谷

西都市 西都原古墳群 鬼の崫 コノハナノサクヤヒメに恋をした鬼の伝説が残る古墳

宮崎市 青島神社 山幸彦がワタツミの宮から戻られた場所

押戸石の丘から

早朝、私達の乗ったフェリーは大分港に着岸。自家用車で阿蘇方面に向かう。豊後原尻の滝辺りから登るにつれ鬱蒼とした杉林が徐々に草原へと変わって行く。

豊後大野 原尻の滝

熊本に入り阿蘇の北外輪山へと進む。波打つような大地が幾重にも重なる独特の地形。その中でも一段高い丘の上に尖った石のようなものがみえた。

押戸石の丘

これが縄文の聖地と呼ばれる「押戸石の丘」。シュメール文字が刻まれていると何かで知ってからどうしても見たくなった。「ガッカリスポットの可能性も有るな。」そんな一抹の不安もあったがここに来て見事にその不安は覆される。丘の上に立つ石群は周りに岩など全く無い大地に確実な存在感を放っていた。中でも押戸石と呼ばれる一際大きな岩は、神と交信しているかの如くそこにあった。シュメール文字は風化が進みかすかに痕跡を感じる程度だったが、むしろリアルに感じられた。

押戸石

丘の上からの絶景は言葉を失う。360度地平線の彼方まで全く人工物は見当たらない。9万年前4回にわたり阿蘇カルデラを作り上げた巨大噴火が火砕流となり九州一帯に広がった。その後長い年月を経て侵食が進みこのなだらかな大地を作り上げた。これは、かつてこの地に岩を運び文字を刻んだ人々が見たものとたぶん同じ景色。

頂上からの絶景