軽井沢、長倉に最近出来たコモングラウンズと言う複合施設に行ったが、ここはメインが服ではなく食品でもなく書店だ。近頃の本屋はオシャレ感が半端ない。以前本屋の入り口と言えば雑誌と相場が決まっていたが、最近は美しい表装の本がズラリと並ぶ。銀座や代官山の蔦屋書店に行った時も驚いたが本はもはや、贅沢な趣味であり重要なインテリアだ。今や本は読むだけのツールでは無く自身のアイデンティティを語る重要なアイテムになって来ている。それって、本が生まれた時代に戻っているような。
前回の続きの話ですが。昔、本が権威の象徴でもあった15世紀に生まれたものがこの蔵書票という小さな紙切れ。盗難を防ぐために本の見返し部分に呪いの言葉や格言めいた言葉を書いて貼られたのが始まりとされ、それが次第に自分の持ち物である事を表し、後に蔵書票自体の美を表現する様になる。
日本では明治33年に文芸誌「明星」に紹介されてからみるみる広まって行った。竹久夢二、山本鼎、棟方志功、なども手掛けている。
蔵書票にはルールがあって、書票の中にEX LIVLIS又は蔵書票と票主名が記載されることが正式な条件としている。EX LIVLIS Natsumeでなつめさんの蔵書となるわけだ。縛りが多い分デザインセンスが問われる。蔵書票が普通の版画と分けて珍重されるのはそこの部分だ。
日本の古い蔵書票は西洋のものとは一味違う独特の世界観がある。西洋のモノクロームに対し日本の多色刷りの蔵書票は美術的にも大変美しい。これらは小さな紙切れを表す一葉ニ葉と数え、一片の紙の中に日本の風俗や風景、票主の人となりや様々な情感を閉じ込めている絵柄は、日本人の美意識の高さを伺えるものが多い。
インターネットが発達した現代、急激に本が姿を消す。主人を失った紙片は見返しから剥がされ、ここに蔵書票だけが残った。