1991年6月15日。冬季長野オリンピック招致決定のニュースが飛びこむ。この決定がその後の長野県の運命を大きく変えた。
1972年頃からスタートした北陸新幹線の前身である長野新幹線の導入計画。碓氷峠の急勾配の問題等紆余曲折を経て10年後ようやく東京⇄軽井沢間はフルモデル規格の新幹線、そこから先は在来線を利用したミニ新幹線の導入が決定した。ここに至るまでも相当なごたごたがあり(割愛)JRの経営不振もあってなかなか進まない新幹線計画であったが、そこに舞い込んだオリンピックの招致獲得で一挙に方針は転換。全線フルモデル規格に変わり国家予算も導入され計画は一気に遂行される。
当時、鉄道沿線から大きく離れた地域に住んでいた私達は、その後の新幹線沿線の目覚ましい発展を20年に渡り遠くから目にする事になる。仕事の関係もありその後軽井沢へと住まいを移した理由は、豊かな自然に加えて首都圏に直結している事の重要性を痛感していたからだ。
現在、北陸新幹線の導入により軽井沢はもちろん、首都圏と大動脈で結ばれた長野市は地域の中核都市として見事な変貌をとげています。又新幹線駅を新たに獲得した佐久市についてもその後の発展は言うまでもありません。
住みたい地方ランキングの常に上位にいる長野県は、その美しい自然の他にこういった背景もあるのでしょうね。