昭和47年(1972年)2月19日。軽井沢レイクニュータウン内、群馬との県境付近の静かな別荘地に群がる大勢の人だかり。警視庁機動隊、長野県警、消防そして大勢の報道陣。テレビは連日生中継で事の次第をお茶の間に送る。平均視聴率は驚きの89.7%。10日間に及ぶ攻防の末、死者3名 重軽傷者27名を出して終結した。これが昭和史に名高い「あさま山荘事件」。
この時、私は8歳。おぼろげに記憶しているのは朝から晩までつけっぱなしのテレビといつもより頻繁に訪れる叔母達の話し声。あさま山荘事件とは連合赤軍メンバー5人が浅間山荘管理人妻を人質に立て籠もった事件。
あさま山荘に行ってみた。軽井沢レイクガーデンに車を停め別荘地を登ること2キロ程。斜面に貼り付く様に建つ赤い屋根(当時の屋根の色は青)のコンクリートの建物。事件から50年が経過しかなりの廃墟を想像していたが、意外にも整った外観が逆にあの時の映像を思い起こさせる。出入口は一か所のみの要塞の様な外観。窓から武装したメンバーが外部に向けて銃口を向ける緊迫した状況。当時の機動隊が攻略に相当に苦労した事がうかがえる。
万国博覧会と共に始まった70年代。第二次ベビーブームにより日本の人口は一億一千万を超える。「戦争を知らない子供達」の歌が流れる街には人があふれていた。あれほど盛んであった学生運動も衰退し新たな時代に向かおうとしていた社会の中で、この砦に立て籠もった若者たちが戦う相手とは。
「あさま山荘」今も訪ねてくる人が絶えないと聞きます。現在の山荘周辺は木々が成長し森と化しているため夏場は全貌を望むことは難しいです。