分去れ

「わかされ」と読む 分かれ道のこと。何とも愁いのある言葉だ。 群馬から長野にかけての方言だという。

ここ追分の分去れは北国街道と中山道の分かれ道。ここから右は北陸へ、左は京都へと道は続く。旅など容易ではない時代、同じ宿を共にした者同士がこの場所で互いの旅の無事を祈って分かれて行ったのだろう。分去れの碑を見るべく一段登るとそこには凛とした馬頭観音が立つ。どこか異国風のその面立ちはマリア観音という説もありますが定かではありません。

観音様を見つめていると、美智子上皇后さまがかつて分去れを詠んだお歌を思い浮かぶ。「かの時に我がとらざりし分去れの 片への道はいづこに行きけむ」もしも違う道を歩んでいたらどんな人生であったろうと言うこの歌。誰しもこんな思いはあるものだが民間から皇室に上がった上皇后さまの思いは如何ばかりであったろうか。

時代の分去れの様な今、行先もわからぬ旅の無事を祈って静かに手を合わせる。

「分去れ」への2件のフィードバック

  1. ありがとうございます。
    今日、東京から長野へ向かう18号、サンラインへ右折しようと分かされ不近で信号待ちをしている時、ふと右手を見ると“マリア様”のような石仏が…
    気になり、気になり、検索してこちらへ辿り着きました。
    なんだか、この一年の選択に「よく頑張りました」と語りかけられた気がします。
    主様、新しい年も良い日々をお過ごしください!

    1. 辿り着いてくださりありがとうごさいます。

      私も散歩の時にたまたま、お会いした観音様がどこかマリア様の様に思えて、気になり調べてみたところ小諸市から高崎の辺りにかけてのこの辺りは、意外に隠れキリシタンの多い歴史のある所の様で、近くを流れる「御影用水」の御影もマリア様と言う意味も込められているとか。こちらの馬頭観音様もマリア様ではないかと言う説が地域で語られています。
      お気に留めていただき私も嬉しい年の瀬を迎えられました。ハッピーコンシェルジェ様も良いお年をお迎えください。

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